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ダイヤモンドの中心は、君

飽きるまで食べる、飽きるほど食べる

パン粉フレンチトーストのリベンジ。今日は成功した。わーい✌︎('ω'✌︎ )( ✌︎'ω')✌︎

Twitterでいろんなひとのごはんを眺めてると、みんな手がきれいで羨ましいな~と思う。白くてすべすべな細い手でグラスやカトラリーを持ってる写真を見ると、自分のむくむくで茶色の手がはずかしくなってくる。せめて爪の手入れちゃんしよう。ポリッシュはトップコート塗っててもすぐ剥がれるし落とすのが面倒だから多分もうやらないだろう。ネイルは何かイベントごとがあったらジェルネイルやりにいく、くらいでいいな。

朝から洗濯物を抱えてコインランドリーへ。乾燥機に放り込んでその間にスーパーに行く。いつも売ってないな~と思っていたマンゴーが売っていたので喜び勇んで買った。今日の夕食は変更できないけど明日食べよう。明日の楽しみができた。目先の楽しみを見つけていかないととてもじゃないけど“人生”やっていけない。

コインランドリーの近くに瓶の牛乳が売っていたので両替も兼ねて買った。小学生の時、家で牛乳配達を頼んでいて、寒い冬はストーブの上に乗っているやかんに瓶ごと入れてあたためて飲んだ。ちなみにわたしはいまも昔のホットミルクの上にできる膜が好き。豆乳のあれが湯葉だよね?

昨日は塚田農場のおうち便で早いうちからビールをたくさん飲んだ。塚田農場といえばプレモルだろうと青のプレモルにはじまり、そのあとは青の金麦とハートランドハートランドはスーパーで買えるビールの中でいちばんおいしい。こないだ飲んだ青いエビスもハートランドに迫るくらいおいしかった。食べられなかった分は明日食べようと思っていたけれど、おもいのほかひとつひとつの量がちょうどよく普通に全部食べたし何なら食べ終わったあとジャムをたっぷりのせたヨーグルトも食べた…いちど爆発した食欲は簡単にはおさまらない。

ちょうど近江寮食堂の宮崎編を読んでいて、チキン南蛮の口になっていたのでタイミングが良かったことも嬉しかった。辛麺チャプチェがど~しても食べたくて注文したんだけど、記憶の中の辛麺チャプチェがおいしすぎて「これは家で作ったほうがおいしいな」と思った。

あと、このハイボール初めてのんだけどめっちゃおいしかった!九州の郷土料理には芋だろうと思って注文してたんだけどめ~~~~っちゃ焼酎濃い!!!

おなかが重くなり夕方には寝転がってうんうん唸っていた。雨音に集中したらいつの間にか寝た。

最果タヒさんが、ご自身のブログで「飽きてOK」というタイトルの記事を書いていた。

ずっと書き続ける作家を、読み手がずっと好きでいるのはむしろ難しいことだと思う。だから、好きじゃなくなったとか、昔の方が良かったと言われるのはすごく、すごく自然なことだ。さみしいはさみしいけど。互いに変わっていくし、その方向性まで同じことなんてほとんどないよ。ただ、自分の好みじゃなくなっただけだと思うのに、「最近のテーマは無理してる」とか、「読者に無理に合わせすぎ」とか、こちらが間違っているみたいな言い方をされるのは、なんでなんだろう、って悲しくはなる。

わたしは同じ人を長い間好きでいることができない。「太く短く」タイプだ。そのかわり、好きでいる間はそのこと以外のすべてがどうでもよくなる。

お腹がはちきれるまで食べて、全部吐くみたいな好きになり方をする。だから、食べ終わったあとは何も残らない。残らないし、気持ち悪さが最後の記憶になって昔好きだった人に対してなんの感慨もなくなるし、むしろ少し嫌いになる。そんなことをずっと続けている。

そういえば飽きるっていう言葉には食べるが入ってるんだな、と思った。

今より30kg以上太っていた頃、わたしは多分、食べることがさほど好きではなかった。味が濃くて油脂がたくさん入った食べ物を心の空洞に入れ、隙間に白米とポテトチップスとフライドチキンとロールケーキを詰め込んで埋めることで空虚を飼い慣らしていた。

食べることが好きで太っている人は幸せそうなオーラが出ている、と、栄養士の人が書いている記事を読んだときは目から鱗だった。わたしは嫌いな自分からただ逃げたくて肉の壁を作っていたのだ。

きちんと食べる、ができていれば、心に隙間は生まれない。心が疲れたときこそきちんと食べよう。

明日からまた出勤かあ。