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ダイヤモンドの中心は、君

君のことまだ好きなんて自分でもわかってるよ

2013年の3月17日は、日曜日でした。
感慨に耽りながら、ひとつの出会いと別れを刻もうかと久しぶりにこのダイアリーを開きました。
思い出にさようなら。これからにこんにちは。
ここからの記事は、15歳を好きになって20歳をまた改めて好きになるまでの5年分の想いを昇華するために書いたものです。人が読んで楽しいものではない、と前置き。
推しに(一方的に)出会って5年が経ちました。



北村匠海くんに出会ったきっかけ

初めて推しを見たのは、ヴィーナスフォートの教会広場でした。友達が毎週のように無料のライヴを観に行っていると聞き、興味を持って足を運んだのがインディーズとしては最後のイベントツアー、ラスト日でした。
イベントは誰でも無料で観ることができて、CDを買うと優先エリアで観られるシステム。その日はラスト日だったのでいつもより人も多かったようで、優先エリアの整理番号は抽選でした。この日はCDを1枚だけ購入して抽選券をもらい、引いた整理番号は、なんと6番でした(300番くらいまで出てたらしい)。
完全にビギナーズラックだったのですが、なんと友達も5番という番号を引き当てており(こんなことありますか?)、一緒に最前列でライヴを観ることになりました。
その日の、そこから先はほとんど覚えてない。
覚えてるのは、DISH//のインディーズデビュー曲「It's alright」の最後で匠海くんが強く前に手を伸ばして拳を握りしめた、その瞬間に掴まれてしまったこと。
もう笑っちゃうけどね、でも本気で、瞬間でしかなかった。一瞬で「天使だ」って思った。

どうしようもない僕に天使が降りてきた

その日が、週末ヒーローに会いにショッピングモールに通う日々の始まりでした。

はじめての遠征

その翌々日だったかな、オフィシャルのTwitterで匠海と昌暉が中学校を卒業しましたと報告がありました。その時点で決まっていたライヴは4/29までなかったので、もう高校生になる前のたくみくんには会えないんだなあと寂しく思っていたら大阪でのイベントが決まって、一瞬で行くことを決めた。それが、初めてたくみくんと話した日になりました。

個別サインは1回で2分ほど話せると聞き、そんなに長く?と驚きながら行く前に話す内容を何度も何度も考えて、結局3回サインして3回話しました。

初めての会話は、「卒業おめでとう」「ありがとうございます」「高校入ったらなに頑張るの?」「…ともだちづくり」。

いや、天使じゃない???

「おともだちでおなじ高校にいくひといないの?」って聞いたら「いますけどお、知らない人のほうがおおいから、きんちょうする」ってちょっと顔が曇ったのを覚えてる。ほんとうに不安なんだろうなあ、ともだち100人できますようにって心から願った。

たくみくんをすきでいる間、きっとトータル100回は話してて、今まで食べたパンの数になっちゃってからは忘れてしまったやりとりもあるけど。
この日話したことってほんとどれも覚えてる。

「好きになったばっかりだから、たくみくんが出てたもの、何から観ていいかわからないんだけど何がおすすめ?」
鈴木先生!」
「ドラマのほう?映画?」
「映画はそのうち観てもらいますけどお(今考えるとめっちゃ図々しくてかわいい)、先にドラマ観てほしい」
「おっけ」
「そのあとは、ブタがいた教室かな」
「じゃあ、自分にとっていちばん印象に残ってるせりふ、サインの下に書いて」

このあと、自信満々に書いてくれた出水くんの台詞は『見ててわからなかったら、言ってもわかりません』。
この言葉は、ふとした時に思い返します。言葉だけの理解では足りないということ。15歳が書いたひとことは、心の中に今でも真理として輝いてる。

「ねえ、さっきのダンス(DISH//と超特急でイケナイ太陽を踊りました)ちょっと振りあやしくなかった?」
「いやーやばかったです、きんちょうした。久しぶりだったから」
「かっこよかったでも」
「ほんと?よかったー。昔はもっとたくさんで踊ってたんですよ」
「見たかったなあ」
「なつかしかったですおれも」
「大阪、楽しかった?(時間があまったためむりやり話をひねりだした)なにか食べた?」
「おこのみやき!」
「じゃあお好み焼き書いて」
「?!」

このとき、じょうずにかけなくて(当たり前だ)「よくわかりませんね…」って不安そうに渡してきた顔がどれほど天使だったか、わたしの脳内HDDをお見せしたい。

この日のイベント、ほんとうにたくみくんずーっとかわいかったんだよね。超特急と一緒だったことが大きいと思うんだけど、フロントとしての責任とかここでお客さんを引き込まないととか、そういう責任から解き放たれて自由にのびのびイベント楽しんでた。そんな姿がどんどん見られなくなっていったことが、わたしもしかしたら寂しかったのかな。

みんなが家族だったらどういう家族構成になるかフリップに書いて発表しよう!とか、フィーリングカップル!とか、ほんと雑なイベントだったけど(笑)、家族構成作ったらドロドロの昼ドラになっちゃってみんなにやいやい言われてご、ごめんなさあいって隠れちゃったたくみくんとか、フィーリングカップルでカイちゃんだっけ?を選んだのにユースケに取られちゃって完全に蚊帳の外に置かれてねえおれ、おれ、どうしたらいいの(おろおろ)ってなってたたくみくんとか、もう見れない気がする。こどもだったなあ。かわいかったなあ。

弾丸だったので帰りは夜行バスだったんだけど、もらったサインを何度も眺めて何度もにやにやしたり泣きそうになったりした。最高に幸せな夜でした。

横浜BLITZ「超×D」スペシャルライブ&トーク(神)イベント

天使だって自覚したあと最初に観た「ライヴ」は、その1ヶ月後に行われた、当時TOKYOMXで放送していた冠番組の、今はなき横浜BLITZでのイベントでした。

学芸会という名のグダグダ舞台に人間ピラミッドと相変わらずスタダクオリティ満載で最高にこどもを発揮していたたくみくんだけど、あの大きな箱で堂々と「こうやって考えたこと忘れない」って歌うたくみくんが頼もしくて幸せだったなあ。
はじめてお手紙とプレゼントを預けたのもこの日。はじめてあげたプレゼントは使ってもらえなかったしお手紙もきっと読まれてないです。笑

この日、CD購入者には該当ユニのお見送り握手があって、ひさしぶりだったので緊張してたし高速握手だしで何を言おうか決められないままたくみくんの目の前に立ったらその瞬間たくみくんが、あっ、って顔をして「大阪で!」って言ったんだよ…!…?…!?

完全にかたまってしまって、「……?!?!??あ、ありがとう??」と謎の返しをした会話になっていない会話がこの日の記憶です…。帰宅しながら、いやまさか、1ヶ月も経ってたし…わたしがお花畑すぎて早口の「おつかれさまです」を聞き間違えたのだろう…なんという記憶捏造者…ということで納得しました(のちにそうじゃなかったことが判明した)。

メジャーデビューシングルリリースツアー

そして、待ちに待ったゴールデンウィーク。デビューシングルの発売に伴いイベントツアーが始まりました。毎週末の土日、それぞれミニライヴが2回と特典会。1部はツーショットで2部はサインっていう形式のものが多かったかな。いろんな場所のショッピングモールに行きました。お台場や豊洲はまだ近い方で、浦和や新三郷、もっと遠いと高崎とか、色んな場所に連れて行ってもらったなあ。

印象深いのは、タワーレコードに朝から並んで寒かったこと、お台場で少し遠くから観ていたらたくみくんがステージから降りて走ってきてそれがたまたま目の前で泣きそうなくらい感動したこと、高崎でたくみくんが書いたわたしの似顔絵がひどくて「ちょっとこれひげ生えてない?!」って言ったら人生イチ爆笑されたこと(おめーが描いたんだよ!)、豊洲に向かう途中で更新されたブログを見たらあげたプレゼントを使ってくれてる写真が載ってて嬉しくて泣いたこと。あとは、ゴールデンウィーク毎日いってたからブログに「毎日きてくれたかたもいましたね」って書いてあってそれだけですごく嬉しかった。わたしのことだと思ったわけじゃなくて、毎日いくことは向こうにとって嬉しいことなんだって思えたのが幸せだった。

一度、サインの時「りゅうじくんととーいくんがアクセントダンスする時に、床がバン!って鳴るのが好き」って言ったら、「おれも〜テンション上がるよね」って返したあと「あれやると、床がずれちゃうんだよね」って言われて。「ええ?!」って驚いたら匠海くんが「ほら」って床を指さした。その先を見たら、本当にステージの真ん中がちょっとずれてて衝撃を受けた。この日、たくみくんに対して最初の夢ができました。その夢は「ずれない床でライブできたらいいね」。笑うよね。

あとは、新三郷に行くのが直前まで仕事でギリギリになっちゃって、仕方なく2階で見てたらみんな2階まで走ってきて、他のメンバーは2階を半周だけして帰ってたのにたくみくんはちゃんと1周したこと。立ち位置逆だったから無理だと思ってたのに手をちょっと立ててみたら手を伸ばしてハイタッチしてくれたんだけど、そのあとサイン会で今日2階から見てたんだけどって言ったら「あのへんでしょ見てるのわかったよ」ってめちゃくちゃ得意げに言ったのかわいかったなあ。「雨の中で見るの、良いなと思った。明日晴れるやって、晴れの曲だけど歌ってる時は雨の曲なんだなって」って言ったらたしかにねって興味なさそうに言われたのも思い出深いよ。笑

この日のライヴ、たくみくんが「今からの曲順、先に言っちゃいますけどTENKOUSEIと恵比寿物語と東京バイブレーションです。盛り上がって…恵比寿物語で号泣して、最後また盛り上がる!無理難題コースです!!!!」って言ったのしぬほど笑った。まず客席に要求するのが号泣ってハードル高すぎ。メンバーに「山あり谷ありコースな…?」って言われてたから、その無理難題コースもたくみが無理やりつけた名前なんだろわろた…。

ライヴはどの日も楽しかったけど、このツアーはその後の道を左右する大きなターニングポイントになった日があって、それが渋谷VUENOSというキャパシティ250人の小さなライヴハウスで行われたライヴでした。

前日のコスモワールドでメンバーが何度も「明日は絶対にスニーカーで来て。すごいことになるから」って言ってて、期待に胸を膨らませて渋谷に行った。ミニライヴって大体曲数は4〜5曲で、2曲やってMC、1曲やって宣伝、2曲で終わり、といった形が多かったけど(たまに寸劇があるのがDISH//のいいところだった)、「すごいこと」っていうのは、5曲ぶっ続けで演るということだった。あまりの最高さに高揚と興奮が一気に許容値を超えてしまって何も覚えていられなかった。ただ、たくみくんの勢いが、たくみくんっていう殻をばりばりに破ってたことだけ覚えてる。

ほんとうにたのしくて、さいこうで、たくみくんのまえでもずーっと「たのしかったなあ」「たのしかったあ」だけ言ってた。だから話したことも覚えてないけど(笑)、覚えてるのは、握手でとーいに「これ、誰が考えたの?」って聞いたら満面の笑みで「俺ら!」って言われたこと。その中の誰が考えたのか聞きたかったんだけど(笑)、そのひとことには説得力しかなくて、あの笑顔はこころの中でずっと光ってる。

あの日、たくみくんは本当にリミッターが外れると目の周りが真っ赤になるんだって思った。なにそれ、しょうねんまんがの主人公じゃん、って思ったけど、ほんとうにあのひとは、主人公なんだよなあ。ずっと、ずーっと。

そのあと、ぞくぞくと地方のイベントも決まった。名古屋と兵庫は1日で回ったけどどっちも現地で別の畑のおたくやってる友達と見れて嬉しかった。

兵庫のサイン会で「わたしがはじめてDISH//を観た日にね」って話し始めたら「大阪だよね」って言われて、BLITZで言われた「大阪で」は間違いじゃなかったことがわかってびっくりしたな。えっなんですごいって言ったら「ふっふ〜」って得意げだった。そのあと「あのとき『高校入ったらなに頑張るの?』って聞いたら、たくみくんなんて答えたと思う?」って聞いたら「…………………………両立?」って言われていやそこは覚えてないのかよってなったのもなつかしいなあ。笑

今考えると、このときのたくみくんがいちばん頑張りたかったのは学生とおしごとの両立だったんだなあって感慨深い。ブログを書くたびに、疲れたけど今からテスト勉強しなきゃってよく言ってたよね。クラスで成績が上位だった時はブログで嬉しそうに報告してくるのがとても好きでした。

はなしがずれた。この日、両立?って聞かれて、友達作りだよって言ったら、ハッ!とした顔のあと「おれ友達いっぱいできた!」って言われて、好きでいる中であんなに幸せな報告はなかったかもしれない。

ラストのラゾーナ川崎で、ずっと好きでいていいかなって聞いたら当然ですって笑ってくれた。この日、特典会がすべて終わって夜も遅かったけど、みんな出てきてりゅうじが泣きながら「みんなで手をつないで武道館行こう」って言った。わたしはりゅうじにはずっと興味を持てずにいたけど、そのひとことだけで愛するに足りる理由だったことは、今でも変わらない本当の気持ちです。

メジャーデビュー

デビュー日の前日、札幌でのインストアイベントに行きました。タワレコに着いたらDISH//のCDがたくさん並んでた、あの感動は忘れられない。このとき撮った写真、わたしもみんなも楽しそう。

デビュー日は東京でサイン会。いまいちばん近い夢は?って聞いたら「めっちゃおっきいところでライヴ!」って書いてくれて、なるべくたくさんのひとに生で歌を届けたいっていう思いが尊くて泣けた。なんか抽選で入れるトークイベントもあって、なんとか当たって入れた。

サイン会で、わたしは九州出身で、はじめて行ったライヴハウスだからZepp FUKUOKAでワンマン見るのが夢だよって言ってたことがあったんだけど、Zeppでライヴがしたいって言うトーイにたくみくんがなんとなく「全国にあるもんね。福岡とかね」って言ったのが嬉しかった。多分、たくみくんのご両親のご実家が鹿児島で九州だからだと思うんだけど。
ベントラスト、みんなでぎゅうってかたまってひとつのケーキ食べるDISH//ほんとにかわいかった。天使の集まりだった。

初の海外遠征

そうこうしてる間に台湾デビューという発表があって、友達と行くことにしました。現地では、ないと思ってた握手会があったんだけど、たくみくんが神妙な顔で「わざわざ遠くまで来てくれてありがとう」って言ってきたからいや海外まで行かないと来てくれてありがとうって言われないんだなって笑いました(笑)。

すごく自信なさげに歌ってたから、かっこよかったよって言えて嬉しかった。もどかしそうに歌う姿をいちばん好きと感じる時期だった。別になくてもよかったけどそれだけ言いたかったから台湾まで行ったけど握手は1回?2回?しかしなかった気がする。あとべつにそれ以上の話したことおぼえてない。とーいが「お〜来た来た」って言ってきたから軽いなと思った(…)。一緒に行った友達と、未だに台湾まで行って握手1回しかしなかったのどういうことだろうって笑います。

このときの台湾は、この非コミュなわたしが初めて「友達と海外旅行」というのを経験した日でもあったんだけど、行ったら楽しみにしてたチョコレート小籠包のお店が改装中で入れず結局フードコートでごはんを食べたし、鼎泰豊でカードが使えなくて現金がなくなりホテルに歩いて帰ろうと思ったけど地図がわからなさすぎて心折れたし、コンビニに行ったら財布を忘れてコンビニに友達を置いたまま一旦ホテルに戻ったら友達がコンビニ店員に職質を受けていたし、なぜかずっと台湾の東急ハンズみたいな24時間営業の本屋をウロウロしたし、握手券がなくなるのが怖くてアニメイトに行ってから会場に向かったらライヴに間に合わなさそうになってNARUTOエキスポの(DISH//NARUTOエキスポのゲストでした)アトラクションを全く楽しまず全力で駆け抜けたし…いやほんといろいろありました。たのしかった。

道中で出会った台湾のファンの子が話しかけてくれて、私達のために道案内をしてくれたりタクシーに乗せてくれたりとっても優しくしてくれたことはずっと忘れないです。日本語を勉強していて日本に留学すると言っていたので、あの子が日本に来た時にがっかりしないような存在にDISH//がなってたらいいなと思った。

2ndシングルリリースツアー

それから期間をおかずに、秋の始まり。2枚めのシングルA面曲の名前は「晴れるYA!」青空をイメージした衣装のビジュアルも、たくみくんにぴったりな、爽快な曲が出ることが決まってすごく嬉しかった。I Can Hearって結構さみしい部分もあるエモーショナルな曲だから、ポップチューンは若いときにしか歌えないしこの曲の若さが何より好きだった。

たくみくんのお誕生日って11月3日で文化の日なんだけど、文化の日って晴れの特異日って呼ばれていて観測範囲上ほとんどが晴れる日なんだよね。ほんとうに、たくみくんのための曲だと思いました。

このツアー、後々メンバーがあらゆる媒体で停滞がいちばんつらい時期だったと話してるんだけど、わたしはとっても楽しかったんだよね。それは、たくみくんが後ろにつらさを隠して笑い続けた証で尊いものだと思ってます。

きっとメンバーがこのときつらかったのは、客層がガラッと入れ替わって今まで自分たちが演奏するだけで盛り上がってくれたファンの人たちがチケットを取れなかったり優先エリアに入れなくなってしまって自分たちの力で盛り上げていかなきゃいけなくなったからだと思うんだけど。でも、リミッター外せばちゃんとついてくるって気付いてくれた時期でもあったと思う。今だから思えるけどね。

わたしは、みんなの試行錯誤が見えてたこのツアー好きだった。この日は誰々がプロデュースしました、この日は誰々がプロデュースしました、っていうメンバー個人プロデュース公演を作ってみたり、皿VSスラっていう渋谷VUENOSが発端となったMCなしのノンストップ曲だけぶっ続けライヴが生まれたのもこの頃だね。VUENOSは、あれがなかったら、DISH//は「バンドであること」を伸ばそうとしなかったかもしれない。

この頃、みんなの試行錯誤は素晴らしかったんだけど、お客さんをつかもうとみんなが頑張っていて、ひとつだけ弊害がありました。それは、いわゆる「リア恋営業」の覚悟を決めたことだったかなと思っています。

ほんとうにばかばかしいんだけどね、DISH//接触でCDを売ってきたし接触でお客さんを増やしてきた(と自分たちでは思っていたみたい)ので、疑似恋愛の相手を頑張ってするようになりました。いわゆるリア恋営業というやつ。リア恋営業がピンとこない人は適宜ググっていただいて。「大好き」「愛してる」を目の前の女の子に言ってあげることを自分たちの仕事だと思ってるようなのを見ているのはとてもつらかった。それもつらかったし、なによりおたく同士で「わたしは何を言ってもらった」を争うようになったのがいちばんつらかった。それを羨まない心を保ってられない自分もつらかった。このへんから、「接触」というものに対して自分の中に暗い影が落ちるようになってきてしまいました。かっこよかったよ、楽しかったよ、それが伝えられることがただただ楽しいというのが、この現場のいいところだと思ってたんだけど。

だからこの時期に入ると、わたしたくみくんと何を話したかあまり覚えてないんだよね。なんだか、話しててもわたしもなにかたくみくんに特別響く言葉をもらわなきゃ、ってわたしもたくみくんにとって特別なファンである証拠がほしい、ってそんなことばっかり考えるようになってしまって、駆け引きをしようとして空回って思うようにいかなくていつも終わったあと友達に泣きついてた。泣きながら友達みんなに「どうしたいの?」って聞かれて「わかんない」って答える日々はつらかったな。自分勝手だね、ほんとに。

それでもこの時期を楽しかったと思えるのは、まずひとつはたくみくんが着実に新しい姿を見せてくれてたこと。DISH//はダンスロックバンドといってエアバンドだったけど、1フレーズだけ生演奏を聴かせてくれたのはこのとき。

東名阪クアトロツアー

ライヴハウスのワンマンツアーが決まる、ってなんだかバンドみたいで嬉しいなって思った。しかもクアトロ。最高。とかそんな気持ちで何から何まで楽しみしかなくて、行ったら予想の100倍楽しかった。永遠に終わってほしくなかった。

全部すーごい楽しかったけど、このツアーの名古屋で完全にリミッターを解除して爆発してたたくみくんのことは一生忘れない。目の周りを真っ赤にして、咆哮する姿に、もう立ち尽くすしかなかったし、このひとこんな獣みたいな面もあったんだって、終わったあとは涙が何度も溢れた。その場から動けなかった。食いちぎられそうなくらい、理性が飛んでるたくみくんがどれほど美しかったか。こんなものを見せる人に生きてる間に出会えたことを心から感謝した。あの感覚はもう、誰を好きになっても出会えないんだと思う。

16歳の生誕祭イベント

晴れるYA!のCDを買って抽選でいく形だったの鬼だと思った。大変だった。CD、今まででいちばん買ったし、はがきを60枚近く書いたのが大変だった(…)。
とーいとたくみの合同生誕祭だったから、ふたりでふわっふわ話してるのがかわいくて愛に溢れた空間だった。歌もたくさん聞けて嬉しかったな。幸せすぎてあんまり覚えてないです。笑

この日、サプライズでそれぞれのお母様がお手紙を書いてきてたんだけど。たくみくんのお母様が、仕事で学校に行けない日も多く仲間に入れなかったり、評判を気にして精神的に弱ったときはごはんも食べられなくなっていたと言っていたのが、そんな様子を見せるひとではないのでいま抱えてるものがありませんようにと思った。あなたの後ろには、いつでもとーいくんがいるよっていうひとこと、嬉しかったなあ。

サイドディッシュシングルリリースツアー

衣装ダサかった記憶!この頃は、怒涛の勢いでいろんなものが決まっていって、ツアーが短かったのもあり飛ぶように終わってしまったなあ。ライヴにも人がすごく増えて遠くから眺める日のほうが多かったかも。この年最後のツアーだったので、サイン会ではいちねんかんありがとうございましたおせわになりましたという挨拶を匠海くんとしあいました。

そして、サイン会で今年楽しかったライヴTOP5をフリップを作ってたくみくんに発表することにしました。(ほんと頭おかしいおたくでした…)

何度かループしながら5位から発表して、最後、「1位は…」って言った瞬間、「名古屋」って言われた。もちろんフリップも出してなくて、「え」って言ったら、「クアトロ」って。

「え、」
「クアトロの名古屋でしょ」
「なんで、なんで」
「2部」
「えーこわい、なんで?」
「ふふ」
「なんで知ってるの…!」
「俺もだよ」

わたしはたくみくんに「ひさしぶり」って言われたことがないのを気にしてました。多分、よくおたくが言う「出席確認」はされたことなかったと思う。他のおたくには言うのにって思ってた。特典会はいつもぽかーんとした顔をされて笑顔で迎えてくれることなんてほとんどなかった。めんどくさそうにされることもあったし、なんなら無視されたこともあります(苦笑)。だから嫌われてるってあの時はずっと思ってたけど、でもそんなことなかったよなあって今考えると思うかな。わたしがどうとかじゃなくて、そういうのをファンに作る人じゃなかったと思うよ。ほんとうに、ふぁんみんなのこと大好きだったんだと思う。思い返せば思い返すほど、選んだのがたくみくんでよかったって心から思います。いや無視はむかつくけど。w

ファンはタレントを映す鏡だってよく言われるじゃないですか。多分それは本当にそうで、たくみくんの愛されることに対する自信のなさとは、離れていくかもしれない不安はファンにそのまま浸透してた気がする。わたしのまわりもいつも不安そうだったなあ。

でも今なら、たくみくんはたったいちど大阪で話した人間をずっと覚えてるような人で、楽しいを共有したいと思うような人だってみんなに言いたい。北村匠海を選んだら幸せになれるよって教えたい。だからこのやりとりは敢えて書いた。わたしが気にしてたようなことを気にしてたひと、たくさんいると思うけど、たくみくんは誰のことも自分のたいせつなファンだと思ってるよ。

たくみくんに何度もプレゼントをあげてきたけど、1回しか写真に写らなかったものってたくさんある(いうて選ばれてたのは半分くらいでいちども見ることなかったものもたくさんあるよ)。それでも、「使ってるよって見せるためだけに」身につけて写真を撮るような人だった。今は、もしかしたらもらうものの数が多くて追いつかないかもしれない。あえてあげたものを撮らないようにしてる時期もあるかもしれない。だけど、それは「環境が変わった」のであって、人の中身なんて変わらないから。たくみくんの「中身」は、そういうひと。それは、人を幸せにするためにある、才能であり努力だったと思う。

Zepp

初のZeppワンマン。ZeppTOKYO、広くて遠くて困惑した。困惑したけど、あの日ははじめて一曲まるごと生演奏をした日。たくみくんには「生演奏用のギター」というのがあって、出てきた時はものすごく緊張した。こんなにまっすぐな音を鳴らす人だったんだって、裏切らなさに泣いた。もう音は記憶から薄れてしまったなあ。またDVDみようっと。

5都市ライヴハウスツアー

年が明けて5都市。やっと福岡で見れて嬉しい嬉しいって話ししたら本人も楽しそうで嬉しかった。

このときから生演奏の時間も増えたんだよね。なんだかペンライトを振るのが嫌で生演奏の時はペンライトを消すようにして、そのうちめんどくさくなって持たなくなったらその話ししたとき「いいじゃん!!」って褒められた。気付いたら生演奏の時はペンライト下ろすのが形骸化したけど、これわたしはパイオニアのひとりだと思ってますねどや。

このツアーは圧倒的にO-EASTがいちばん楽しくて、いちばん大きいところがいちばん楽しいって最高だなと思った。その後の特典会でどれがいちばんたのしかった?って匠海くんに聞いたらO-EAST!あと福岡って言われたのも嬉しかった。福岡とO-EASTだけ「楽しかったです」ってブログに書かなかったの(私が)気にしてたけど、ほんとうに楽しかったらそういうのをわざわざ言わないんだなって、「ぽいな」って納得した。

初ホールツアー

そのあと決まったのが5都市ホールツアー。はじめて、たくみくんの不安を感じた。

初日が名古屋で、名古屋の前日に握手会があったんだけど、「明日どのへんにいるの」って聞かれて、よっぽど話すことなかったんだろうなって思って後ろだよって普通に返した。そしたら、あとあと推し被りにそんなこと聞く人なんだ…!って言われて驚いた。めちゃくちゃ聞きそうだけどって思った。みんなが思ってるより、あのひといつもファンのこと探してたよ。誰を、じゃなくて、自分のファンが見つけられないことをすごく怖がってる、そういう人だった。

このとき、今回のツアーは泣かないよって言ったらナツちゃん(仮名)は絶対泣くよって言われたのがほんとうにおまえはわたしのなにをしってるんだよって感じだったんだけど(笑)、たくみくんの前で悲しくて泣いたことは一度もなくて、それがわかってるから言ったんだと思う。このだいぶ前の握手会でトーイに「いつも泣いてるよね」って言われたのにびっくりして匠海くんに「トーイにいつも泣いてるって言われてさあ」って言ったら「さ」が言い終わる前に「泣いてる!!!!」って言われてめちゃくちゃ気まずかったことがあったんですよ。w 「泣いてる、いつも泣いてる」って言われていやまじで何で見てるのマジデヤダーーーーーーって暴れる大人の相手してたたくみは偉い…。

その日、ぜってー泣かせるって言われて、ほこたてだねって返した。その対決は、負けました笑。中野で、あんなに大きな会場で、誇らしげに歌うのは反則だった。

この不安が「埋まるのか」じゃなく「ファンが離れていくこと」だった気がするのがたくみくんらしいと思う。この時期、よく「僕たちは遠くにいきません」って言ってた。いや、どんどん遠くに行ってくれよって思ってたから目指すものが同じじゃなくてつらかった。でも優しいから無理なんだろうなあとも思うと、駆け上る足を掴むものの存在を捨てられない優しさを少しだけ恨めしく思った。

このツアーもそれなりに楽しくて、ただこのへんからちょっと金銭的につらくなってきちゃって。デビューシングルが出た時は、もうこんな機会なくなっちゃうかもしれないからって思って100枚以上買って、2ndはたくみくんとトーイの生誕イベントが抽選だったからやっぱり100枚以上買って、その上でツアーに行ったり海外に行ったりしてて間髪入れず次のリリイベツアー、5都市ツアー、また5都市ツアー、終わったらまたシングル発売ってしんどくて、でも周りのおたくが頑張ってるのを見てたらやめ時がわからなくなってしまってもうとりあえずこのホールツアーが終わったら現場は緩くしようって決めてました。で、向かったホールツアーラストの福岡が最高に良い公演だったので。綺麗に終わることができました。一緒に入ってたりゅうじ推しの友達と、おわったあとずっとたのしかったーしあわせーって言い続けてた。

再び5都市ライヴハウスツアー

で、そのあとはじまったライヴハウスツアーは福岡だけの予定だったので東京大阪名古屋札幌ぜんぶ我慢して、福岡だけ行きました。福岡のドラムロゴスというライヴハウスで、わたしにとっては学生時代何度も通った思い出深い場所だったから楽しみにしてた。

で。これが、わたしがDISH//の現場に行くのをやめた決定打となりました。

多分、リア恋営業のことだとか、運営のやり方だとか、メンバーの気分のムラだとか、ずっと同じことをやり続けてることに対する飽きだとか、ちょっとずつ積み重なってたものの淀みを象徴してたのがこの日だった気がする。空回りってあのことだったし、客席のほうを向いてないライヴって解るなと思った。温度差って結露を生む。生まれた水で、感情の火が消えてしまった。

もう、このひとたちのパフォーマンスにどれだけの期待をしたところで、こんな必死にならねばならない時期にこんなしょうもないライヴをする人たちに用事ないと思った。これは自分本意な感情だけど、我慢して我慢していった分ほんとに悲しくて、そのあと飛行機までの時間がなくて全員との握手だけ行ったら驚くほど邪険に扱われてそれも悲しかった。いろんな悲しいことが連鎖してしまった、不幸なタイミングだった。

このとき、いろんな我慢を詰め込んだ袋を締めてた糸がぷつーん、と切れてしまった。

いままでたくみくんと話してライヴ見て楽しんでメンバーみんなを大好きだった自分の気持ちを否定された気持ちになったし、全部嘘だった感覚になった。ほんとうに申し訳ないけど、自分たちがたった1回気を抜いただけでも、その1回はその人にとって100回分楽しみにしてたライヴである可能性をこの人達はこれだけ長くやってて知らないんだって思うとなんだか体中の力が抜けてしまった気がした。「もういいか」って一度思ったら、自分の中にライヴを楽しめないとなんにも力が残ってなかったことに気付いて途方にくれた。

初の野音

もうなにもしたくなかったけど、決まっていた野音だけは行きたいと思ってたから行った。ライヴ自体はお世辞にも楽しいとは言えなかったけど。

この野音で、DISH//がずっと夢だと言い続けていた武道館公演が決まりました。

スクリーンに結成当初のみんなの写真が映し出されて、写真のみんながどんどん年を重ねていって、ああこれは、って思いながらたくみくんを見たらもうその時の鼓動の音が聞こえてくるんじゃないかってくらいすごい顔してて。そんなたくみくんが「単独武道館決定」の文字を見た瞬間、崩れ落ちて、気付いたら泣いてた。

デビューシングルの発売イベントで、みんなで手をつないで武道館行こうって泣くベースの横で、みんなが言葉に詰まる中「おれ泣いてないから喋れるよ」と言葉を発したあの子が。過酷だと言っていた日本縦断のあと、ラストの光景を見ながら「泣きそうだけどね泣きません」と言って笑ったあの子が。生誕祭イベントで、母からの手紙を読み上げられギリギリまで堪えながらも「涙は武道館までとっときます」と目を開いたあの子が。泣いた。

たくみくんはよく「お客さんの前で泣くわけにはいかない」と発言していました。わたしはそれを聞くたびに、いつになったらこの子にとってファンは泣いてもいいって思える存在になるんだろうって思ってました。この瞬間、やっとたくみくんにとってお客さんじゃなくなった、と思ったら、もう大丈夫だなって自然と思えました。わたしがもう、必死になってたくみくんを見に行かなくてもよくなった。これが、現場厨としてのわたしの最後の現場でした。

その後、雑誌だったかなウェブメディアだったかな、たくみくんが「この人たちの前なら良いかなと思って」と発言したことが、わたしがあの日感じたことの全てだった気がします。

そのあとMJの公開収録だけ行った。ほんと好きでかわいくて、もうテレビの前で見てるだけでいいなって思うとそのことをすごく幸せに感じた。

初の武道館

最後にいった現場から半年近く経ったかな。元旦の武道館に行きました。いつも一緒にいたたくみ推しの友達と連番で、正直すっごい緊張した!笑

こんな大きなキャパの会場で観たこともないし、久しぶりだし、そもそもあんなにずっと言い続けてた夢の場所だし。それに、いちばん怖かったのはつらくなっちゃうことだったなあ。年間80回観に行ってたものを、いきなり半年も観に行かなくなるなんてそれだけ大きな虚無を心に飼ってたし。この夢を一緒に描いてた筈だったのに、笊に水を注ぐみたいに抜けていったらどうしようってすごくこわかった。

でも、杞憂だったなあ。出てきた瞬間に、たくみくんの目から涙が零れ落ちてるのを観たら、もうそこまでにあった楽しかったこととか嬉しかったこととか、つらかったこととか、悲しかったこととか、そういうことじゃなくてそのとき目の前にいる人のことをすごく好きだった。

観に行くことはなかったけど、こわかったけど、一瞬も忘れることなくたくみくんのことずっと好きだったなと思った。

この日、たくみくんの初のソロ曲が披露されたんだけど、ミュージカル調のすごくかわいい曲で、曲の世界でたくみくんは魔法使いで、ここまで導いてくれたこの魔法使いがかけた魔法は、一生とけないだろうなあと思った。何もかもが楽しかったなあ。DISH//のいいところが詰め込まれた、最高のライヴでした。

もう、辛さも怒りも、それだけじゃなく執着も、ぜんぶ流れ落ちてしまった。そのあと、翌年の元旦に2度目の武道館にいって、もうほんとうに行くのをやめました。2015年の元旦から2017年の末だから、ほぼ2年かな。長い間、生で観ることはなかった。

2017-2018年

2014年の元旦から2017年末までの3年間で1度しか観に行かなかったたくみくんを久々に観に行くことにしたのは、やっと自分がすごく観たいと思う作品にたくみくんが出たからでした。その作品が「勝手にふるえてろ」。松岡茉優ちゃん主演の映画です。

それまでも、たくみくんは「キミスイ」やら「恋と嘘」やら、いろんな作品に出ていたけど完全にスルーしていて、でもこの映画は観たいと思った。好きそうなものに出てくれて嬉しかった。ぴあで申込みができたので、初日舞台挨拶に申し込んで、当たりました。ドキドキした。何度も、行くのをやめようかと思った。

当日、直前まで悩んで、いきました。想像通り、すごく好きな作品だった。アンモナイトを抱えるヨシカの顔にいろんな感情を重ねた。わたしはかつて、あんな顔で誰かが書いたサインを抱きしめていなかっただろうか。

たくみくんの演じるイチは、いいやつではないけど憎めなかった。「いい役」より「ぴったりな役」をもらってることが嬉しかった。エンドロール、北村匠海の後ろに(DISH//)って書いてあるの、早く取れたらいいねと思った。星野源のクレジットに、サケロックつかないと思うし。当たり前になってほしい。

映画が終わって浸ってたら、たくみくんが出てきた。すごくおとなになってたし、俳優北村匠海の顔をしてたから懐かしさはなくて、ただすごいめちゃくちゃかっこよくてびっくりした。他の出演者がいろんな裏話をしながら笑う中、あまり笑わなかった。ずっと怖い顔をしていた。たぶん、たくみくんの中で北村匠海の役割を守ろうとしたらこうなるんだろうなと思った。むかし、たくみくんが陽だまりの彼女の舞台挨拶が終わってからライヴに途中参加したとき、顔が緊張でこちこちで、とーいに「お前まだ北村匠海になってんだろ」って言われてたことが頭をよぎった。

それなのに、司会の人から話を振られて話し始めると、拍子抜けするくらいにたくみくんで、話し声を聞いたときわたし体温が100度くらいあがった気がする。

いったことがある人ならわかると思うけれどシネマカリテはとても狭い映画館で、わたしは真ん中寄りの席だった。小さい方のシアターだったから、本当に近くてびっくりした。後ろから2列目だったから特に何も気負ってなかったけど、行ったらそもそも席が5列しかなくて逆に目線がきやすい位置で戸惑った。近いなあ…と思いながら、入り口から入ってきたたくみくんを見てたら、勘違いしようがない距離で、目が合った。目が合ったからといって何もないけど、なにもないはずなのに、目が合ったままたくみくんの視線が止まった。あまりにも長くずっと見てくるので、怖くなって目をそらして、ちょっと経ってまた見たらまだ見てた。w

出演者全体として「ここに視線があるといい」といった位置にわたしの席があるのだろうか?と思ったけど、あまりにも目があうので怖くてまゆちゃんやだいちくんを見てる時間だって長かったけど、別にたくみくん以外といちども目は合わなかった。そのあともなんどか、恐る恐るたくみくんの方を見たけどやっぱりこっち見てて、立ち位置でもなかったのに顔がじっくり見れないからやめてほしかった。w あとから思い返すと「誰だったっけ?」っていう視線だったのかなあと自惚れながらも思う。4年も経てば、はじめましてできると思ってたんだけど、そうもいかないのかな。

ファンとしての自分は、相手にとってなんでもないって思いたがるのは正しいと思う。正しいといったら語弊があるな、正解の1つではあるとおもう。常に1対他であって、自分など群衆のひとつと思うのはまったくもって間違ってない。でも、いちどでも1人として認められたいと思い行動に移したのなら、その感情を満たしてくれた推しの気持ちを尊重するべきだと思う。わたしはそれを怠った。自分で踏み込んだくせに、受け入れてくれたことを無視して「わたしなんて」と思い続けた。なんて勝手だったんだろうって思う。自分本位で、わがままだった。

あんなにもファンが離れていかないように心を割いていた人から去ったことを、心のどこかでずっと悔いていた。言い訳がましく、自己擁護に走った自分のことも消してしまいたかった。勝手だよね。勝手だったから。この映画を観に行ってよかったんだと思う。ヨシカは、私だ。そう思いたい人が観に行く映画で、ちゃんと「これはわたしだ」と思えたのは素晴らしいことだ。ヨシカが、わたしの悔いをぶったぎってくれた。勝手にふるえてろ。ほんとそうだわ。

たくみくんがかっこよかった。それだけを残したまま、2018年になった。

2018年、たくみくんはきっと後々、彼の代表作の1つになるだろうドラマに現在出ています。まだ最終回終わってないから、見たことないひとは「隣の家族は青く見える」見てね。

朔があまりにも素敵で1から100まで好きで仕方がないから、この春、およそ4年ぶりにDISH//のライヴに行くチケットをとりました。(武道館は特別仕様だからのーかうんと!)

もうこれだけ楽しかったらいいや、って気持ちで締めた福岡のホールライヴが、2014年の4月1日だったから。オリンピックくらい経ったね。今年はどんな嘘つくの?笑

嘘だったら良かったな、ってことはもう、なくていいな。

こんなタイミングで書くつもりじゃなかったんだけどね(笑)。でもいつか昇華させようって決めてました。書いたらすっきりするだろうなって。なんかでも書けば書くほどほんとたくみくんのこと大好きで困ったな!!!という感じです。3年同じ人を好きでいることができなかったわたしが、こんなに好きでいられるなんてなあ。

これで一旦、区切りです。卒業論文のつもりだったけど卒業できなかった!w6年生に進級します。

昨日までのたくみくんさようなら。今日からのたくみくんこんにちは。なんだかまだまだ、たくみくんのおたくです。