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ダイヤモンドの中心は、君

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きのう聴くつもりで寝てしまったので朝からラジコのタイムフリーで平野紗季子のラジオを聴く。

radiko.jp

外食大好き、ごはん大好き、だけど家も大好き、なのでお取り寄せできる今って割と幸せなんだけど、でもその空間込みで「思い出」になることってあるよなあと思う日々。551蓬莱の豚まんをこそこそ急いで新幹線で詰め込むのは思い出になるけど、家で食べるのはただ消費な気がする。お店と料理と相手、っていう三位一体の思い出を外食で作ってきたんだなあ。でも落ち着いたら何食べたい?って思う時かならず「その時あの店まだやってるかな」が付き纏うからそれが今はつらいね…。

www.lostacosazules.jp

この「サバイバルタコスキット」がパワーワード過ぎて思わず調べちゃったんだけど、「これだけあればしばらく出かけなくてもいいでしょ?」のメッセージがよすぎるな。タコスを巻くっていう「体験」も提供したいっていうお店側の気持ちも良かった。

動物のお医者さんが全巻無料で読めるので読んでる。大好きな漫画。全巻持ってるけど実家に置いてあるので久々に読んだ。ハムテルたちが合宿所を脱走したところとかおばあさんがお湯で凍ったドアを開けたところとか覚えてるところいっぱいあったけどそういえば二階堂っていつも変な服着てたな…ということを思い出したので嬉しかった。H大の学生のあらゆるが、今の心に染み込む…フラットである素晴らしさよ。

昨日の夜は再放送を録画してた千葉ヒャダの台湾旅を見た。こじらせ、結構いつも録画を忘れるので台湾旅も見れてなかったから再放送ありがたい…千葉さんは、なんだかすごくあらゆることに適切な弾力がある人だなあと思う。うまく表現できないけれど…宿命への受け入れ方というか。例えば「さぞかしおモテになるでしょう」といつも言われる“イケメンの宿命”だとか、そういう残念な宿命というものが各個人には存在していて、そういうあらゆるに反発しない、のも反発する、のもそれぞれなのだけど、その受け入れと反発の最適解みたいなところを泳いでる気がするんだよな千葉さんって。パンの弾力くらいの、弾力で物事に接しているのが見ていて清々しいなと思う。

パンといえばまずりんさんがTwitterにあげてたこれほしすぎる~。

kenelephant.co.jp

九州人としては思い出のマンハッタンがほしい。わたしはパンが大好きすぎてスマホケースも会社で使ってるマグカップもパン柄なのである。けっこう前にアフタヌーンティーで買ったこのパン柄のマグカップ本当にかわいくてお気に入り…。

www.magaseek.com

ちなみにマンハッタンというのは九州人のソウルフードガリガリに硬く揚がったドーナツにこれでもかとチョコがかかってる菓子パンです。

www.ryoyupan.co.jp

こどものとき、パンの中でこれとパインパンがいちばん好きだった。あと銀チョコ。

ガンダム劇場版の逆襲のシャアを観た。めちゃめちゃ面白かった…シャアはやっぱり敵でこそだな。観終わってすぐ同僚と逆シャアの話で盛り上がっておやすみの代わりにジークジオンで会話が終わるの面白かった。映画って一気に観ないとだめなものだと思ってたんだけど、岸政彦さんがにがにが日記で「15分ずつくらいで観るとむしろ細かいところをちゃんと観れていい」と仰っており「なるほど」と思って2時間の映画を40分ずつ3回に分けて観た。このほうが私には合ってたらしく集中力切らさずずっと面白かった…家で映画なんて絶対みれないと思ってたけど最初からこうしたらよかったんだな。

推しに質問できるとしたら何を聞く?っていうことを考えた時に、伝えたいことも聞きたいこともほんとにないなって思った。知りたいことはそれなりにあるんだけど。今なにしてるのかなとかごはん何食べたのかなとかそういうどうでもいいこと。

昔のわたしは、当時の推しや担当に聞きたいことといえば「好きでいていいですか」「会いに来ていいですか」だった。許可がほしかった。推しにずっと行ってほしかった言葉、「また来てね」だったもん。来ていいよって言ってほしかった。

アイドルをファンとして観るということ、それは性別年令問わず性的消費にほかならないとわたしは思っていて、共犯関係なのだと思っている。だから、いつだって少しの罪悪感がともなう。伝え方は色々あるけど自分の容姿を含めた「魅力」を商品にして提供して、それを受け取った側が評価して消費するんだから、例えば中年男性が児童と言える年齢の女児アイドルを応援している行為は消費で女性が男性を応援している行為はそれに当たらないなんてことは絶対にないと思っている。ウィンクされてキャー、の時点で十分に性的消費だと思う。

だから、相手に求めてほしいという気持ちが強かった。ぼくは求められているからここにいるんじゃなくて、ぼくが求めているんだよ、と言われることで許してほしかったからだ。

でも、今のわたしはただただ、許可されなかろうが許されなかろうが好きでいるしか選択肢がないな、と思う。

わたしはりゅうのがわたしに観られることを嫌だと思ったとしても(そんなことを思う人ではないことは知っているが)、それでも好きでいるしかないんだよな。そうプログラミングされているみたいだ。芸術鑑賞みたいな、気持ちでいる、ずっと。美しいから、美しいな、と思う。それだけ。他にはなにもない。