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ダイヤモンドの中心は、君

高速バスから見えた正しい街

椎名林檎は福岡を「正しい街」と歌った。

今日、同僚の1人に「退職して福岡で暮らす」という話をしたら「地元に帰っちゃうんだ」と言われた。学生時代に2年、福岡に住んでいたことはあるが、わたしの“地元”は長崎県佐世保市である。学生の一時滞在は扶養などの問題もあり住民票を移す必要がなく、わたしが“福岡県民”だったことは一度もない。そういえば、まだ佐世保に住んでいる頃、インターネットでよくやり取りをしていたお姉さんが大分に遠征することになり「会おうよ」と連絡をしてきて悩んだことがある。そのあと、お姉さんが「ごめん、調べたら大分と長崎ってすごく遠いんだね、九州だから近いと思っていた」と言ってきたので「(そういうものなのか)」と思った。東京に暮らしはじめて改めて感じたが、割と九州以外で暮らしている人たちは、九州はすべて同じようなものだと思っている気がする。まあわたしも、北海道は道内の移動に飛行機を使うほど遠いということを知識としては知っているが、実感はないので同じようなものだろう。

わたしは小中高と“地元”で暮らしている間、ずっと息苦しかった。コミュニティが狭いので、いろんな種類の友人がいた。暇さえあればセックスばかりしているヤンキーの子たちとも仲が良かったし、男女問わずクラスの中心的な人たちとも仲が良かったし、早い段階でインターネットを愛していたのでオタクたちとも仲が良かった。その世界で生きていると「ひとり」になることが圧倒的に怖かった。母子家庭で、親はほとんど家にいなかったが、そのおかげ(?)で家はたまり場と化していたので常に誰かがいた(中学に入ると肥満すぎて喘息を発症し、休みがちになったためひとりの時間は膨大に増えて、その時は地獄だった)。福岡に引っ越してからも、たまに地元に帰るとひっきりなしに色んなグループに会わないといけなかったから大変だった。そのくらいには、どこかに属していないと怖くて仕方がなかった。

もう、季節がいつだったかも覚えてないけれど、実家に帰ったあと、福岡に向かう高速バスに乗った。高速バスから福岡の街が見えたとき、なんだか唐突に“許された”気持ちになってブワと泣いてしまった。急に、実感として、街の懐の深さに触れた気がして、ボロボロと泣いた。わたしはこんなにも自由だったのかと思った。風景を見てあんな気持ちになったのは、後にも先にもあの時だけだ。その日から、わたしは椎名林檎が福岡を「正しい街」と呼んだ意味がわかる気がしている。

貧乏学生の上に着られるサイズがどこにもなかったから、服はいつもダイエーの大きいサイズ売り場に売ってあるものを買っていたし、大名のWEGOでメンズ服を買うときもあった。ごはんはいつも専門学校の友達とゆめタウンにあるチェーン店で食べるかやよい軒に行っていたし、カフェに行きたい気分の時はドトールに行った。福岡独自のカルチャーにほとんど触れず2年間を過ごしたことになる。もったいない。それでも、わたしはほんとうにあの街の“良さ”がわかるのだ。

あれから13年、いまのわたしにとっても“正しい街”かどうかはわからない。もしかしたら、東京がわたしにとっての“正しい街”だったと認識するのかもしれない。これは正しさを見つける旅だ。