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ダイヤモンドの中心は、君

ひとりで歩いた街で隣に誰かがいるということ

ちょっとした送別会?友人たちと高円寺でごはんを食べた。ずっと行きたかった店、内装も味もすばらしい。映画の中みたいでずっと興奮していた。お会計が3,000円くらいで「えっ!?3人で!?」とびっくりして大きい声だしちゃったら店員さんが「はい!3人で!!!」と笑顔になったのでなんだか嬉しくなった。

そのあとタクシーで移動して行きたかったカフェでパフェを食べて、また高円寺に戻って雑貨屋さんを見たりレモンサワーを飲んだりした。

高円寺は、上京したての頃、よく服を買いに行った。お金もなかったし、まるまると太っていたので普通のブランドの服は着られないし、だぶだぶとした古着を買いに出かけ、メインストリートを往復したあと大きな袋を抱えてふうと帰っていた。街のあれこれに目をやる余裕はなく、買いたいものを買うためだけに出かけ、黙って歩いていたあの街を、人とあれこれ話しながら歩くことがすごく不思議で心がうわついた。街の色が違って見えた。高円寺に住んでいたら東京のこともっと好きだったかもな。いや東京のことは、ずっと好きだ。

高円寺にドライフラワーのお店があって、もう少ししかいない家に飾ってもな、と思って買わなかったけれど、帰ってからずっと「買えばよかったな」と考えていた。あの店の前を好きな人たちと歩いたことを、枯れない花を見るたびに思い出せるなら、買えばよかったのに。近いうちにいこうかな、またひとりで。ひとりじゃなかった思い出があの街にできたから、次にひとりで行ってもきっと街の色は誰かと歩いた時のままだ。

いろんな話をしてたのしかったなー。

地方に住んでいる共通の友達の話もちらほら出てきて、実際、わたしが移住を決めたとき、関西や東海や東北に住んでいてもインターネットでずっと繋がっている友人たちがいるという事実はとても大きな勇気になっている。離れた場所にいる人が今なにを好きで何にこころを動かされているのかを、きちんと知っているから、ここを見ている誰かも、わたしを知っていてくれていることが、わたしが進むことのできる大きな力のひとつであるのだ。