本当のカオスは音を立てない
LA CASA DE PAPEL(邦題:ペーパー・ハウス)全5シーズン(Netflix上は「パート」表記)、41話を完走した今のわたしの備忘録。
世間ではプロ野球のキャンプが始まり、例年であれば「球春到来!あけましておめでとうございます!」と1ヶ月遅れの新年の挨拶をしてせっせと宮崎(名護)に通うはずの2月に突入したが、私はあいもかわらず画面の前で何度も悶絶していた。
1月中旬、プロ野球はオフシーズンでストレンジャー・シングスは完結し、仕事が多忙を極めるなか生活の中の楽しみを見失いかけていた私は今のタイミングでこの作品に出会ってしまった。
LA CASA DE PAPEL、一時期は赤い服にダリの仮面を身につけた強盗を多発させ、サッカースタジアムやデモ運動を赤く染めるほど、世界を巻き込んだ「現象」となった作品。
放送開始は8年前、8年も遅れてこの毒の沼地にはまってしまったのだ。
見始めた最初は教授が沼い、教授がめろい、しか言えなかったけど、最終的には強盗団まるごと愛しくて絶対に守りたくなってしまった。
気づけばラストを最高の環境で観るためNetflixの契約をプレミアムプランにプランアップし、DolbyVisionに対応するためテレビを買い、観終わった後Gemini相手に6時間ぶっ続けで作品への愛を語り続けるオタクと化してしまった(夜中2時から音声入力でAIに語り続けてたら朝の8時になってて怖かった)。
ちなみにテレビはこれを買いました。
(一人暮らしを始めて最初に買ったテレビが18型のAQUOSで9万円くらいだったこと思うとテレビってほんとうに安くなった⋯⋯)
43型、部屋の広さ的にこれ以上大きいと視界に収まらないかもと思って選んだけど実際部屋に置いてみるともう少し大きくてもよかった気がする⋯⋯これまでが26型だったから十分なんだけども。
なにが最高って導入したらDolbyVisionの画質はもちろんだけどAtmos対応のサウンドが最高だった。
服のボタンが落ちて床に散らばる音とか些細な音が拾えるから、より物語のディテールが鮮明に感じられる。
こうなってくるとAtmos対応のサウンドバーも欲しくなるんだよなあ(注文済み)(オタクって結局なんのジャンルにハマっても初手ですぐ課金する⋯⋯)
教授⋯⋯本当にとんでもないキャラクターに出会ってしまった。
随所に散らばっているめろポイントはそのうち自分のために各話感想を書くつもりだからそのときにメモするとして、教授の素晴らしさは演じたアルバロ・モルテが徹底的に「教授という人を世に届けるための触媒」であり続けたことが大きいと思う。
Netflix作品のファンでよかったと思う大きな要素のひとつに、ドキュメンタリーへの力の入れ方がある。
(ストレンジャー・シングスの舞台裏ドキュメンタリーもティッシュが何枚も必要になるほど泣ける仕上がりになっている)
LCDPのドキュメンタリーは3度に渡って配信されているが、そのなかでアルバロは教授を語るときに教授のアイコンであるメガネをしていない。
彼は自分を教授という人物の器と認識しているから、役から降りたら教授から解き放たれている。自分と教授を同一視していない。だからこそ、緻密になれる。
彼は「僕には教授になるときの儀式があるんだ」と話していて、その言葉に「キャラクターを好きになった自分」の中にある戸惑いの部分が剥がれた気がした。
存在しない人にのめり込む自分を自然に飲み込めたのだ。
沼落ちの初期段階って、なぜかこういう瞬間が不意に訪れる。
戸惑いの部分を、打ち消すなにか、掬い取るなにか、それはその言葉をどこかで渇望してる自分の隙間に引っかかって、簡単に殻を剥がしてしまう。
教授の魅力は、あの知性の塊でスマートな器が計画外の出来事と内側にあった肥大化した自尊心とエゴに汚されていく部分にある。
汚されれば汚されるほど本質的な美しさが際立つ。
ラストに近づいてくると、教授は縛られるし吊るされるしトランクに詰め込まれるし大変な目に遭う。
汗や血にまみれ奔走するシーンを演じているシーンのオフショットで、アルバロが目尻をいっぱいに下げて「彼も大変だね」と笑ったとき、ほんとうにこの人が教授を演じてくれた奇跡に感謝した。
メガネを上げる時は指1本。
ネクタイはベルトのラインのちょうど上。
人を指す時は指で指さない。
アルバロが教授の要素を紐解きながら教えてくれる。
教授の顔を持つ、違う人だ。
それが作品の、キャラクターのファンにとってこんなに幸せなことだなんて知らなかった。
実写作品のキャラクターのファンは俳優のファンと切り離せるものではないと思っていたから。
切り離してくれることで、私に見える教授が守られる。
別ジャンルにハマると、急に脳がハックされて新しいOSをインストールされたような気持ちになる。
前に、推しは選んでるんじゃなく選ばされてると書いたことがあるが、この脳へのハッキングも有効なセキュリティソフトはない。
ちょっとした隙をついて、気付いたらインストールされている。強制終了なんてしたら悪化するだけだ。
K-POP好きの友人たちがこぞって韓国語を学んでいた理由がやっとわかった。
わたしもYouTubeに上がっているイベント映像に字幕がなく、話している内容がわからないことが悔しすぎてスペイン語の勉強を始めた。
野球のオタクになったとき、実況や解説が「きょうけん」と何度も言っているのを聞いて「狂犬」だと思っていたら「強肩」だったことがある。
「タッチアップ」「インフィールドフライ」「フィルダースチョイス」野球を見ながらあらゆる言葉を覚えた。
「球数」は「きゅうすう」ではなく「たまかず」と読むことも、誰に教えてもらうでもなく気付いたら染みついてたことだ。
こうやって、自分のなかに形成するパーツが増えていく。
パーツが増えた私は、スペイン語でコーヒーを注文することくらいはできそうになっている。
前に心理学の専門家が、食べすぎてしまう人の心理について「最初のひとくちが忘れられないからだ」と話しているのを見たことがある。
見つけてしまったときの、頭の中でぱちぱちと泡が弾けるような、小さな火花が散るような、あの感覚は、いちどしかないと知っていて、それでも追いかけてしまう。
それにしても二次元→ミュージシャン→アイドル→芸人→野球選手とジャンルを渡り歩いてきて、スペイン人のおじ様に沼落ちするなんて1ミリも思わなかったからもう何のオタクになっても驚かないよ自分のこと!笑
