閃光少年

No hay marcha atrás

メロディは鳴り続ける

今年に入って5年前に完結した英語圏ですらない異国のドラマに沼落ちして、新規絵もないプロモーションもないグッズ展開もないのないない祭りの中4周目の鑑賞が終わろうとしていた今日このごろ、Xを開いたら世界が動いていた。

え!?
あ????

しししししししししししししししししいいいいいいいいいしししししし新作!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?

一度離れたXというSNS、同時翻訳された世界中のツイートがタイムラインに流れてくるというスペインの沼に沈んでる私のためとしか思えない仕様変更を急に差し出してきたので最近もっぱら入り浸っているのだが(本当にスペイン語のポストばかりが流れてくるおすすめタイムラインが完成しているので日本人たちのよくわからない諍いは全く入ってこない)(そのかわりスペイン人のキレのある罵り合いはめちゃくちゃ流れてくる)、検索しても3日に1件しかヒットしなかったくらい眠っていたファンダムが突然叩き起こされた結果、たった1時間でも追いきれないくらい検索結果が濁流になっていて、こんな、こんなことあるんだなあ……??

なんかこう、何かの沼に落ちるときって奇跡的なタイミングが発生することがある。
前に推しは自分で選べないと書いたけど、導かれるようにそこに引きずられているような。

ハマったドラマは5年前に完結していた。
日本では海外ドラマ好きの界隈内で小規模のブームを起こした程度なので販売物は本国の流通にしかほとんどない。
飽きるまで見たらもうその先がない状態で、急にSNSが世界中に接続された。

そして、このタイミングで新作が発表されて、私は本国の界隈の熱狂をリアルタイムで目の当たりにしている。

「世界中で熱狂を生んだ」ことは知ってた。
そして今、知識と体験は違うということを肌で感じている。

いろんなことが自分にとって都合よくて本当にびっくりする。
ハマってすぐ新作が解禁されてたら、このタイムラインの濁流を追うこととこれから量産されていくプロモーションを追うことに必死で、作品を何度も繰り返し見て深堀する時間はなかったと思う。

4周も見てると最初と真逆の解釈になったり後から気づくことがあったり、自分が作品に対して何を軸にして何を根幹だと捉えているのかを理解したり、何を愛して何を嫌悪するのかもクリアになってくる。
chatGPTのチャットルーム上限まで好きなエピソードの何が好きで嫌いなエピソードの何が嫌いかを書きまとめてそれでも止まらないくらい言葉も思いも湧き出てくるのは私にそれだけ時間が与えられていたからだ。

それに、もう眠ったコンテンツを掘り起こすことのありがたさは探し出されるエピソードが洗練されていること。
ほとんどのことが風化したあとは、大事なことだけが生き続ける。
大量の情報から選り分ける作業を先人たちがやってくれていて、私はろ過されたものを掬って飲めばいいのだ。

それが落ち着きそうになったタイミングを見計らったように新作情報が解禁されるって、いや、本当に言ってる???(ここまで書いてかなり動揺してきた)

それにしても、今まで大人気コンテンツを推してきたことなんてほとんどなかったから「タイムラインを追いきれない」が初めてのことで本当に本当に嬉しい悲鳴すぎる……。

先日、「推し」って言葉ができる前はみんななんて呼んでたの?っていうポストがバズっているのを見かけたのだけど。
私は「推し」だけじゃなく、ラベリングした途端もとに戻れなくなったものってたくさんあるなと思っていて。

例えば「言語化」という言葉はここ最近で急速に広まったけれど、この言葉が広まったことによって「察しがいい」「表現力がある」「説明がうまい」「話を整理できる」あたりは繊細に別物だったはずが「言語化能力が高い」というひとつの言葉に圧縮されたというか。
ラベリングってもともと「便利だから」存在してたものなんだけど(それこそ一番好きとか誰のファンとかを「担当」という言葉でまとめたとか)、名前がつくことでフレーミングされてそこから出られなくなってくる。

それは私がジャニオタ時代に「担当」という言葉に対して思っていたことがそんな感じだった。
その名前をつけることで対象も自分も定義付けしてる。
人ってある程度の制約を付けたがるからそれによって便利なことはあるんだけど、便利ってさやっぱり逃げなので。

私はジャニオタ時代やスタダオタ時代に「私が思っていることを言葉にしてくれてありがとうございます」と言われることがよくあって、それを言われるのが本当に嫌だったんだけど、私が感じたことは私のものでしかないのに勝手に片方を持って自分の取り分を持っていこうとしないでほしいな、の気持ちもあったし、都合よく私の言葉に乗っかるのは逃げじゃない?っていうのもあった気がする。

絞り出さないとでなくても、絞り出した結果、100ある感情に1の言葉しか出なくても、生み出したものが本物だと思うから。

で、ずっとそういう気持ちだったから、最近のいかに短いフレーズでインパクトを残すかに全振りして圧縮された言葉たちに違和感みたいなのがあって。
そもそも私が言葉を圧縮することが非常に苦手なタイプというのもあるんだけど……(いつも140文字ギチギチポストしてしまう)、削られた部分だってその人の一部なのに、どうしてみんな均一に均そうとしてるんだろう、みたいな。

そんな中、自分でも思ってなかった経緯で言語学習を始めたので、知らなかった言語に触れて、本当に自分の中に言葉を「増やす」ことをやっているのがすごく楽しい。
例えば「言語化」「推し」とか、新しい言葉って言葉が増えているようでたくさんの言葉が吸収されてむしろ減ってる、みたいな現象の中にいたから。

作中で好きな台詞があって(Netflixはスクショすると真っ暗になるけど字幕だけはスクショに残るのでありがたい)

Pensamos que el amor se declara con flores...pero tambien puedes declararlo a martillazos, o con una radial.

「愛は花束で伝えるものだと思ってる……でもハンマーでも、グラインダーでも愛は伝えられる」

Secuestrar a un policia puede ser una declaracion de amor.

「警察官を誘拐することは、愛の告白になり得る」

Rescatarlo del fondo de su piscina... otra.

「プールの底から救い出すのもまた別の愛の告白」

この一連の台詞が私は本当に大好きで、LCDPってずっと行動で愛を語ってる話だと思ってるので、破綻するし破滅するし暴走もするんだけど全部くるんで愛の告白っていうすごい論理展開なんだけど愛ってそうだよな、みたいな気持ちにさせてくれる。

いてもたってもいられなくなって夜行バスに飛び乗ったことも、めっきり減った公衆電話からチケットぴあにナビダイヤルでおかけしたことも、誕生日と同じ113枚のCDを買ったことも、得たものや喪失も含めて名前はつかないけど紛れもない愛だったよってそう思うし、そのひとつひとつに名前がないから愛しかったりもするんだよ。

あまりにも美しく終わったので新作によって本筋のストーリーラインが台無しにされる恐怖はまあ半分くらいはあるんだけど、とりあえずしばらくプロモーションもイベントも楽しみにしていられるのがとにかくうれしいな〜〜〜〜〜の記念投稿でした。