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ダイヤモンドの中心は、君

だから僕たちみんな 野球場につれてって

今日の試合で、143試合の99試合目が終わる。
残り44試合、試合は半分がホームで行われ他の半分がビジター5拠点で分かれるから、
PayPayドームで試合が観られるのは、あと20試合ほどしかない。

野球に夢中になる経緯は以前このブログに書いたとおりだが、
私がなぜ何度も野球場に足を運ぶのか、先日ふと考える機会があった。

アイドルのファンだったこともある。
バンドのファンだったこともある。
お笑い芸人のファンだったこともある。

何を主戦場にしても「現場」が全てだった私が、野球場という場所を特別心地よく感じるのは、ひとつ理由がある。

球場という場所は、その場所をホームとする球団が野球の試合をするためにある。
球団は球場がある場所を「本拠地」と呼び、地元に根付き、ファンが応援に足を運ぶ。

その中で私が新鮮に感じたことは「ここは誰のための場所でもない」ということだ。

ジャニオタにはジャニオタの顔がある。
かわいらしく着飾り、アリーナの花道横を陣取り、担当から他とは違うファンサをもらうというステータス。
バンドもお笑いも、その場所を我が物顔にできるある一定の人種がいる。
彼ら、彼女らは、そうではない人たちのことをモブだと思っている。

野球場は、本当に色んな人がいる。

ビールを飲みながらぼやくおじさんふたりぐみも、
顔を輝かせる少年を連れた家族連れも、
ルールをよく知らない彼女を連れてきたカップルも、
ゆっくりゆっくり階段を降りる老夫婦も、
巨大なレンズを付けた一眼レフカメラを構えるお姉さんも。

チャンスのテーマでメガホンを叩く。
登場曲に合わせて手を叩く。
推しの名前が入ったタオルを掲げる。

推しがいて、まっすぐに応援してたら、より楽しいけれど。
ごはんを食べながらのんびり観てもいいし。
友人と話しながら楽しんでもいいし。

それぞれが自由に観ていい。何が正解でもない。何も間違いにならない。

その中で、全員が、点が入れば歓喜し、入らなければ落胆し、点を取られれば絶望する。

ヒットやホームランを打った瞬間、誰のための場所でもない球場に、颯爽と主役が現れる。
誰もが、その主役を待ち、登場に沸く。

その瞬間が好きだから、わたしは球場に足を運ぶ。
私のためではない場所に。
誰かのためになる瞬間を待ちながら。